石塔・石碑

出世大師碑(弘法大師碑)

(天保五年・1834年)

五智堂前の出世大師の由来を当院十五世宥全法印が認めた碑です。五智堂は、元は出世大師を奉る大師堂であったといわれています。

三十万人の民衆を教化・結縁したと伝わり、江戸時代の真言宗を代表する傑僧といわれる浄厳律師(1639~1702)は、貞享(1684~1688)の頃に弘法大師が自ら刻し不思議の力があると伝わる大師像を江戸に持ち来り、当院五世・智興法師のもとにて過ごしておられました。すると、「律師の徳は海のように深く、学は山のように高い」との評判が第五代将軍・徳川綱吉の耳に届き、篤い信任を受け、ついに霊雲寺を賜った(元禄四・1691年)といいます。
律師は、これはこの尊像の不思議の力によるものと感謝され、この不思議の力を世話になった者にも受けるようにと尊像を与えられ、当院にお堂が作られ安置されました。
そして、この尊像は劔除の難から救う利益により「劔除出世弘法大師(出世大師)」と称せられてきました。

その後、当院は元禄九年(1696年)に、三百七十四坪一歩御拝領から千五百二十九坪御拝領へと、大幅な加増を受け移転しています。

現在、出世大師の御開帳予定はありません。

大師御宝前石燈籠

(文政八年・1825年)

この二基の燈籠は、元出世大師堂の前に置かれていた燈籠です。
現在の五智堂は、元出世大師堂であったといわれています。

寶篋印塔

(元文四年・1739年)

門入ってすぐ右に立つ寶篋印塔です。
もし地獄に落ちそうになったとき、線香と花を捧げてこの塔を一度礼拝すると、すべての罪から免れ、地獄の門は塞がれ、解脱の道が開かれると伝わります。

忍屋長春句碑

(文政九年・1826年)

門を入ってすぐ左手に立つ句碑です。
「立臼も見へぬ野分のあした哉」
とあります。
裏には、当院第十四世・宥眞和尚の辞世が刻まれます。

 

千手院山号碑

(明治三十一年・1898年)

墓地裏の庭園内にある山号碑です。
「如来色無盡 智慧亦復然 一切法常住 是故我帰依」とあります。
元は門前に置かれていたものと思われます。
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